情熱がすべてを動かす

抽象化できない人々

小学校で次のような算数の文章題が出題されたとしよう。

花子はお母さんからリンゴを5個もらいました。花子はリンゴを2個食べました。いまリンゴはいくつありますか。

答えは3個である。私がいまからタイムスリップして小学校に戻っても、やはり即座に「3個!」と答えるだろう。ところが、小学生の中には次のように答える子供たちがいる。

「僕、リンゴきらいだから食べない!」
「私なら全部食べる」
「リンゴ2個食べたけど、1個虫がついていて、捨てた」

と出題趣旨とまったく関係のないことをのたまう子供たちである。彼らは、この文章題から "5 - 2" という演算を「抽象」することを知らない。リンゴと自分の具体的関係についてのみ考える。目の前にリンゴが5個あることを生々しく想像して、自分ならどうするか、ということを勝手に述べるのである。

当然、算数の先生は、それは間違いだと答えるだろう。だが、それは完全否定するべきことなのか。リンゴを個別具体的に見る能力が発達しているということは、実はそこに別の才能の萌芽があるのではないだろうか。実は詩人とか画家としての才能が隠れているのかもしれない。あるいは、後述するように、起業家として成功する才能を持っているのかもしれない。

だが、学校ではこういう子供たちは低く評価される。雑多の事象の間に共通の性質を抽出して、その性質を理解・操作することに学校教育のほとんどのエネルギーが費やされるからだ。

抽象化しすぎる人々

私は、上のやんちゃな子供たちとは反対に、抽象化が非常に得意な子供であった。したがって、学校ではよい成績を取り続けた。日本で一番難しいといわれる大学の入試にも合格した。ここまではサクセスストーリーのように見える。だが、実はとんでもない落とし穴が潜んでいた。

私は、物事を個別具体的に見ることができないのである。目の前にリンゴが3つ並んでいるとする。その3つの共通属性を即座に抽出し、それに「リンゴ」という名前のラベルを貼る。そうすると、もうその3つのリンゴは、個別具体的な歴史を背負って、ぞれぞれ時空間に1個限りしか存在しないリンゴではなく、リンゴという記号を単に具現化しただけののっぺりとした代物に化すのである。つまりここで私にとって重要なのは「リンゴ」という記号であって、個別具体的に時空を生きる1個のリンゴではない。

リンゴくらいならかわいいが、私はすべての事象にその手法を無意識のうちに適用してしまうのである。自分の住む家。常用する道具。周囲の友人たち。社会現象。経済。国家。すべての事象が抽象化されて、目の前にある個別具体的現象は、記号から導出されるだけの薄ぺらい存在と化す。

おかげで私は、物事にリアリティを感じることが非常に難しい。私は、個別具体的な物事に興味がもてない。「素敵なマイホーム」も「ピカピカの新車」も興味の対象外だ。パソコンだって EeePC の安物だ。「最低スペック」という抽象量を具現化するだけでいいのだ。

私が、何事にも情熱を持てず、情熱に基づいて行動できないのは、そのためだ。これは、特に、リーダーになろうとするとき致命的である。リーダーは何らかの価値を腹の底から信じていなければならない。「ある価値をどうしても達成しなければならない。ぜひ協力してほしい」という情熱が迫力を生み、人を動かす。ところが私の心中では「絶対的価値」というのが湖に浮かぶ木の葉のように絶えず揺れ動いている。すべてが相対的な価値しかもたないのだ。何が自分にとって重要なのか。何が絶対に必要なのか。何が本当にしたいのか。こうした、"what" に関する部分が自分はどうにも弱いことを自覚している。

かつて、ある友人から、どんな仕事をしたいのかと聞かれ、「これができる、あれができる」と延々と説明していたところ、友人はしびれを切らして私の説明を断ち切った。「そうじゃないんだ。何がしたいのか聞いているんだ。"can" じゃなくて "want" だ」と詰問された。彼の言うとおりだ。一番重要なのは"can" ではなくて "want"だ。能力ではなく意志だ。そこからすべてが始まるのだから。

情熱がすべてを動かす

起業家たちは、必ずしも一番頭のいい人たちではない。学問はないが成功した起業家たちのもとで、彼(彼女)より遥かに頭脳明晰な博士が働いていたりするのはまれではない。それはなぜなのか。それは、起業家は夢を持っているからだ。情熱があるからだ。ビジョンがあるからだ。そして、あらゆる困難を乗り越え、それらにコミットする意志の強さがあるからだ。

私にはそれがどうにも欠けている。それが私がいま人生で迷走している最大の理由である。何を人生で達成したいのか。それが一番重要なことだ。すべての事象を冷たく切り裂く「抽象化する眼」を持つ私が、いつか生々しい個別具体的な事象を相手に強い情熱を持って行動できるようになるだろうか。そうあってほしいと長く願い続けているのだが。