ベトナムの商社と田舎
貿易商である日本人の友人に急用が発生し、きゅうきょ私が代行して、北部の首都ハノイ近くの工場まで、ベトナム雑貨の検品に行ってきた。私は、貿易などずぶの素人ではあるが、最近は会計学を学んでいることもあり、ソフトウェアとは違う「リアルなモノ」を扱う商売がどういうものなのか、興味津々で出かけた。
出発の前日、サイゴンの商社に打ち合わせにでかけた。この商社が、友人と雑貨工場との取引を仲介している。
商社というと、「バリバリのスーツを着こなした元気のいい若い男性(営業マン)たちと、それを支えるおしゃれな女性(営業補助)たち」というイメージだった。バブルのころの日本の総合商社のイメージである。いまはどうなっているのかわからないけど。
ところが、商社のショールームで打ち合わせに出てきたのは、中年の女性1名と若い女性3名だけだった。彼女たちは事務員ではなく、バリバリの(?)営業マンたちなのである。しかし、「営業マン」という言葉から連想するギラギラした感じではなく、むしろ「幼稚園の園長先生と保母さんたち」という感じのほのぼのした雰囲気だった。その品のいい50がらみの女性が、その会社の営業部長さんだった。
ベトナムでは、とにかく女性がよく働く。当然ながら社会的な地位も高い。男は力仕事をするだけで、それ以外は、カフェで友人たちと油を売っている。その日、その会社で出会った男性職員は、迎えに来てくれた車の運転手だけだった。
ハノイの空港に着くと、商社のハノイ支店の職員が迎えに来てくれた。中年の男性のドライバーと女性営業マン。またしても女性である。この人は、まんまるの顔にむき出しの笑顔で、むかし日本の田舎にいた人のいいおばちゃん、という感じである。なんだか、バリバリの商社マンというイメージがどんどん崩れていく。
私は、いちおう客として来ているのだが、ベトナム人商社マンたちの態度はいたって自然。そのおばさんの私に対する態度は、ひさしぶりにあった甥に対応しているかのようだ。情け容赦なく、ベトナムの普通の食堂につれていかれ「うまいか?」と聞いてくる。日本の商社マンだったら、きっとスーツをばりっと着て、うやうやしく客に対応するんだろうなあ・・・。まあ、私はベトナム人のこういう自然体が、いまはすっかり気に入っているのだが。
工場は、大きな機械があるわけでなく、単に建物のなかで、地元の女性たちが竹や藤の材料に群がって、作業を黙々と続けているだけである。会社の社長さんは男性だったが、またしても働いている人たちは女性ばかり。本当にベトナムでは男はどこで働いているのだろうか。
ベトナムの田舎の風景は美しい。日本の田舎のように見苦しい広告の看板や工場の煙突などどこにも見当たらない。農耕機械もなく、水牛がゆっくり草を食み、野に放たれたニワトリたちが歩きまわっている。水路には白いアヒルたちが群れを成して休んでいる。地平線まで水田が続く風景に真っ赤な夕日が沈んでいく。
昔、日本の田舎もちょうどこんな風だったのかもしれない。もしそのままの風景が続いていれば、もっと美しかっただろうに。経済成長というのは、何かの犠牲には成し遂げられないのかもしれないね。