ベトナムのテット(旧正月)

今日2月14日は、日本ではバレンタインデーかもしれないが、日本を除く東アジアの国々(韓国・中国・ベトナム)では旧正月の元旦である。私は、友人の帰郷に便乗していまサイゴン郊外の農村に来ている。こんなところにも Wi-Fi 無料のカフェはあり、そこからいまこの文章を書いている。

ここベトナム南部の農村が不思議なのは、日本の農村にありがちな「土臭さ」がないことだ。堆肥を使っていないからではないだろうか。堆肥がなくても農業ができるほど、このメコンデルタ流域は肥沃なのだ。

農耕機械もなくすべて手作業で農業が行われている。椰子の葉を編んで屋根を作った家は、外からは粗末にも見えるが、風通しがよく、昼でも涼しい。この地域の気候によく適応している。

世界銀行で統計を作る人たちは、この質素な家に住む人たちを「貧困層」と分類するのかもしれないが、私の目から見ると、いくら稼いでいるかに関係なく、貧しい人たちとはとても思えない。食べ物は、とれたての新鮮なものだし、涼しい風が吹き抜ける中、ハンモックで昼寝をするのは最高だ。家族や親戚の間の助け合いの精神がまだ生きていて、社会の中で孤立する人たちはいない。

私がむかし東京で住んでいた家賃8万円の、わずか13平米で潜水艦の内部のような賃貸マンションの生活のほうがよほどひどかった。都心の大通り沿いだったから、空気も汚く飯もまずい。東京にいたころは、それなりに稼いでいたから、私は統計的に「貧困層」ではなかったかもしれない。しかし、私はここのベトナム人よりいい暮らしをしていたかといえば、なんともいえない。経済的な豊かさとは何なのか、ベトナムは私をいつも考え込ませる。

友人のお父さんは1989年式のホンダ・スーパーカブに乗っていた。これはもともと日本で作られて日本で走っていたもので、「第一種原動機付自転車」と刻みこまれている。カバーはすでに外されてむき出しの機体であるが、まだまだ現役で 50cc の低容量にもかかわらず、他のバイクより人気があり値段は結構高いらしい。

日本の製造業がまだまだ元気だったころの製品である。おもわず、あのころに日本が戻れたらどんなにいいだろう、と思ってしまった。やはり、日本企業は、日本の工場で作ってこそ、独創的な製品を作れるのではないだろうか。ふと、過去への感傷に浸る、いまの60歳以上大企業経営者層の気持ちがわかるような気がした。もちろん、感じても仕方のない詮無き感傷ではあるのだけれども。