極めるひとほどあきっぽい

献本多謝。私自身、非常にあきっぽい人間なので、「私があきっぽいのも、いろんなものを極めてきたからなのか??」と思わず興味をそそられた。私自身、経済学・IT・英語・会計学等々の多様な分野で、普通にメシが食えるレベルまで激しく学んできたからだ(それでいて何でメシを食うべきかいまだに迷っているのは皮肉な話だが…(笑))。

極めるひとほどあきっぽい

極めるひとほどあきっぽい

著者の窪田良氏は、

1966年、兵庫県出身。慶応義塾大学医学部を卒業後、同大学大学院に進み、緑内障の原因遺伝子「ミオシリン」を発見する。その後、臨床医として虎の門病院や慶応病院に勤務するも2000年に渡米、2002年に米シアトルの自宅地下室でバイオベンチャー、アキュセラを設立した。現在は加齢黄斑変性やドライアイ、緑内障など様々な眼科治療薬を開発している。加齢黄斑変性臨床試験の第3相(フェーズ3)に突入した。

という人物。これだけ見ると順調なエリート中のエリートにしか見えない。慶応大学の医学部は東大の理科三類とならんで、難関中の難関。窪田さんは、超がつくほど頭がいいのは間違いないのだが、それだけではない。子供のような好奇心を頼りに前を見て突き進んできた破天荒な人間的魅力に満ちた人物でもあるのである。

窪田さんはなぜ「あきっぽい」と主張しているのか?

実を言うと、ぼく自身はほぼ10年ごとに別の自分になってきた。

ぼくが研究者を志したのは、慶応義塾大学医学部に在籍していた21歳の時だった。その後は苦労の連続だったが、最終的に30歳でミオシリンに関わる一連の論文を提出することができた。

同様に、ぼくが臨床医としてのキャリアをスタートしたのは、慶応義塾大学大学院に進み、慶応大学病院で臨床研修を始めた24歳のことだ。途中、研究にかかりきりで臨床は疎かになっていたが、30歳で虎の門病院に移り、34歳で米ワシントン大学ワシントン州シアトル)に赴任するまで腕を磨き続けた。

そして、36歳でアキュセラを創業したぼくは46歳の今、新薬開発の終盤にさしかかっている。早ければ、3〜4年には新薬が出せるかもしれない。

研究者と眼科医はパラレルだったが、ぼくは10年ごとに違う自分になってきた。たった46年の人生で、研究者、眼科医、起業家ーーーとキャリアを変えていく人間はそうそういないだろう。

そうかなあ(笑)。この書籍のコンセプトに疑義をさしはさむようで申し訳ないのだが、「眼科にかかわる仕事」という意味では一貫性があるし、「10年で変わる(飽きる)」ってそんなの当り前じゃないだろうか?(笑)。私から見ると、窪田さんは、「道を極める」人ではあっても、少しも「あきっぽい」人には見えないのである。医学業界だと確かに異端児なのかもしれない(またそれが日本の医学界の保守性を意味しているのかもしれない)。

彼の原点は10歳からの数年間を過ごした米国生活にある。窪田さんは、推論能力は異常に高い一方で、暗記能力がきわめて乏しかった(私もそういうタイプ)。そういう彼には日本より米国の教育のほうがあっていた。

また、「暗記させずに考えさせる」という学校の指導法が性に合った。

例えば、「作用・反作用の法則」に関する授業では以下のような問いが出た。
「ボートの側面を押しても前に進まないのはなぜか」
(中略)
もっとも、授業ではこういった解答をすぐには示さない。前に進むと考える人と、進まないと考える人を2つのグループに分けて徹底的に議論させる。
(中略)
ディスカッションを通して答えを導くというプロセスはぼくにとって極めて刺激的だった。

実にうらやましい。創造性を伸ばすにはこういう教育が一番だろう。日本の教育は、いまだに暗記中心でこれとは正反対だ。

窪田さんが、米国で起業できたのは、子供時代に養った英語力と米国文化への理解があったからにちがいない。こういう可能性が人生の後半で広がるわけだから、これからの子供たちにはぜひ英語をマスターしてほしいと思う。

窪田さんは、日本と米国のいいところを自然体で受け入れている。米国では、バイオベンチャーは医者ではなく経営のプロが興すのが常識とされている。経営の経験のない単なる研究者・医者であった窪田さんが起業できたのは、彼の人間性を見てカネを出してくれた日本企業があったから。日本企業は、短期的利益ではなく長期的関係を重視するのに救われた形だ。

その一方で、彼はアキュセラのビジネスが薬の「探索」から「開発」に代わるタイミングで人材を大幅に入れ替えている。探索ではクリエーティブな人物が必要だが、開発ではオペレーションに優れた人物が必要になってくる。ここで彼は断腸の思いで、クリエーティブな研究者たちを大量解雇してしまうのだ。最高の手柄をあげた人たちを解雇するなんて日本では考えられない。だが、実際に会社が変われば不要な人材が出てくるのは自然の理だ。米国では「この会社での功績を売りにもっと高い報酬がもらえる会社に移りなさい」と従業員の背中を押す。とても自然な考え方で人道的な態度だろう。だけど日本社会ではとうめん起こりそうもない。もしアキュセラが日本にあったら、不要な人材を抱え込みつつ、会社も従業員も不幸になっていただろう。おそらく新薬を実用化するフェーズにはたどり着けなかったに違いない。

アキュセラは、窪田さん自身がそうであるように、日米文化のいいとこ取りをした会社と言えるだろう。

最後に彼の日本社会へのメッセージを引用してこの書評を結びたい。私もまったく同感だ。

ただ、多様性に乏しい今の日本がイノベーションを起こしていくのはかなり難しいのではないでしょうか。

最近は多少変わってきていますが、移民がいる欧米の国々に比べれば、日本は同質的な社会で国民の価値観や考え方も比較的近いと言われています。さすがに女性の社会参加は増えていますが、企業との会議にでても国内の大学を出たほぼ同年代の男性ばかり。ご高齢の方や外国出身者が出てくることはそれほど多くありません。これはコミュニケーションや社会の安定を考えればメリットかもしれませんが、イノベーションという面では明らかにマイナスです。

もちろん、移民を入れろという単純な話をしているのではありません。海外で幼少期を過ごしたり、大学で留学したり、異質な文化に触れた人が増えたりするだけでも多様性は増すでしょう。今の日本に必要なのは、人材の多様化を進め、異質なものを許容する社会を作ることだと思います。