就活なんか勝ち抜いても、どこにも行き着かない

なんだろうな、この気持ちの悪さは。

なぜ、「働く」とこと「内面」がここまで結び付けられるのか? - 隠フェミニスト記

今の就活の企業向け「自分語り」を無理やり構築しなければならない。
大学の新卒組は3年生ぐらいから、エントリーシートを書くために、
小学校一年生から自分史をさかのぼり、企業にアピールできる部分を抽出し、
「自分はこんな人間です」という漠然とした疑問に企業が喜ぶ自己像を作り上げる作業をする。

たとえばアメリカなんかだと、履歴書(レジュメ)は自分を売り込むためのマーケティングツールとして捉えられていて、応募する会社ごとにカスタマイズするのは普通だ。そのカスタマイズはいかに自分のもっている技能が、企業のもとめているものとマッチするかをアピールするものだ。

それに対して、日本のシューカツにおいては、企業は学生たちの職業的技能も学問的達成も見ていない。働いたことがないんだから、職業的な技能を審査しないのはいいにしても、大学生なんだからさー、何を勉強して、どれくらいの成績で、何に興味をもっているのか、それくらい見てあげようよ。

実際にやっているのは、「エントリーシート」なるものに、応募者の「自己史」なるものを書かせること。徹底的な性格重視の採用だ。池田信夫氏の言うとおり、重要なのは大学試験を突破できたということだけだから、大学名でふるいにかけたあとは、「社風」に合いそうな素直で元気のいい学生を採用するだけだ。近年の不景気のため、学生が余っており、企業はますますこうした「性格審査」を先鋭化しているようだ。やれやれ。企業は経済活動をしたいのか、それとも「同質的な仲間」がほしいのかどっちなんだろうね。

日本の採用で不思議なのは、人事が平気で嘘をつくこと。学生が「技術をやりたい」と言って入ってきても、平気で営業に配属したりする。学生たちはひたすら平身低頭で、何をされても我慢する。そもそも、人事面接なんて、採用側も候補者側もいいたいことを言えばいいんだよ。サラリーマンになるっていうのは、会社に長時間拘束されるんだから、結婚みたいなもんだ。そこで本音をぶつけ合わないで結婚生活に入ったら後々つらいじゃない。エントリーシートで嘘の自分を作り上げたって後で破綻するだけだよ。(まあ実際には、日本でも、平然と言いたい放題言っている学生が案外人事に気に入られたりするけどね。私の周りでも何人かそういう人を知っている)

学生も気の毒だと思うけど、私が怒りを覚えるのは、むしろ企業に対してだ。このグローバル化して、仕事内容が高度化している世の中で、いつまで体育会系の元気なだけの学生を採っているんだ?もちろん組織で働く以上、最低限の協調性は必要だが、基本、労働者はその技能・知識で判断すべきじゃないのか?たぶん、日本企業は、同質的な人々を採用して、さらに「社風に染める」という洗脳活動を行わない限り、組織を運営できないのだ。上から下まで、そういう環境でしか働いたことがないし、いまさら、他にどういうやり方があるのか、思いつくことさえできないのだろう。科学的な人事管理を学んできた MBA ホルダーの扱いに、日本企業が困ってしまうのもむべなるかな。(そもそも、大企業は昔、よく社員をアメリカのビジネススクールに送り込んでいたけど、あれはいったい何のためだったんだろうね・・・日本に戻っても MBA ホルダーたちを活用できないのは明らかだったのに)

じゃあ、どうしたらいいかというと・・・。新しい時代に順応できない日本企業が少しずつ倒産していく形で、新陳代謝が起こっていくしかないのだろうと思う。外国での働き方を見てきた人たちが、起業するとかね。あとは、外資の進出かな。

もしあなたが、「就活って気持ち悪い」と思っているとしたら、その感覚は正しい。それに勝ち抜くスキルは、日本でしか通用しないガラパゴスな能力で、グローバル化した国際社会で意味がない。そんなことを真面目にやってるヒマがあったら、英語・コンピュータ・会計・マーケティング・法律・各種技術、等々、ビジネスに直結するスキルを磨いたほうがきっと役に立つはずだよ。