学校での英語教育を廃止せよ

楠さんの話を聞いて、私の議論があまりにキレイ事ばかりだったのじゃないかと大いに反省させられた。

英語の敵は刷り込まれた苦手意識 - 雑種路線でいこう

子供たちにとって最初の英語教師は重要だ。

考えて見れば、私は中学一年のときの英語教師が素晴らしい人だった。おかげで、英語に非常に興味を持つことができて、以来苦手意識はあまりない。

私の母は、中高を米系のミッションスクールで過ごした。母の人生の最初の英語教師はアメリカ人だった。それから半世紀を経た先日、母がベトナムに遊びに来たとき、母の片言の英語を聞いたが、その発音が正確なのに驚いた。母いわく、英語の聞き取りにそれほど問題は感じないという。

一方で、ひどい教師に当たって、苦手意識だけを刷り込まれたという恐ろしい話もたくさん聞いてきた。楠さんが英語に苦手意識を抱かざるを得なくなったのは、やはり日本の中学・高校のひどい英語教育が原因ではないだろうか。

彼の出身学校が私立か公立か分からないけれども、公立学校の英語教師にはどうしようもない連中がいる。発音がメチャクチャで文法知識も語彙力もなく、外国人と英語で意思疎通が図れない人たち。中学教師で TOEIC 730 点以上取った英語教師は、わずか4人に1人しかいない。私が非ネイティブスピーカーがとりあえず目指すべきと考える 900 点に達している中学教師はおそらく10人に1人もいまい。

私が「みんな英語力をもっと向上しよう!」と言うとき、それに反発する人の 8・9割は英語に苦手意識を持っているのではないだろうか。英語力がある人なら、「ま、普通そうだよね」と思うか、まったく関心を持たないかどっちかだろう。

みんな大人になって、まじめくさって、客観性を装って議論しているけど、ぶっちゃけ、子供の頃、はじめて英語に接したときの感情が、いまだに英語への基本的な見方を決定しているのではないだろうか?人間は感情的には、いつまでたっても幼稚園児とたいして変わらない。しかし、大人になると「昔、英語で恥ずかしい思いをしたから、英語導入に反対!」とはかっこ悪くて言えないものだ。

そういう意味で、自分の英語への苦手意識を正直に吐露してくれた楠さんはやはり誠実な思考者なのだなと敬意を抱かざるをえない。

楠さんの話を聞いていると、いっそのこと学校で英語を教えるをやめたほうがいいかもしれない気がしてきた。日本の中途半端な英語教育は苦手意識を作り出すだけだ。大学受験の科目からも外してしまえばいい。

90%の学校での英語の授業を廃止して、そのリソースを残り10%の学校に集中し、ここでは全ての科目を英語「で」教える。そうすれば、人口の10%の人間を準ネイティブスピーカーにできる。その他の人は必要だと思えばやればいい。どうせ言語学習の臨界期はすぎているのだ、のんびりやればいいのだ。やる気のある人たちだけが、英語学校に通って、最初からネイティブスピーカーから学んだほうがよかろう。

この10%の英語で教える学校では、小学校から高校まですべての授業を英語で教える。教師は基本的に外国人と最も優秀な日本人教師に限定する。残りの英語教師はみな解雇してしまえばいい。彼らが中途半端な英語を教えると、むしろ子供たちは本当の英語に接する機会を失い、心の傷を作るだけだ。

こんな中途半端な状態で、小学校での英語教育が始まるのは非常に心もとない。英語へ苦手意識をもつ人をますます大量生産するだけではないのか。

もちろん、日教組を支持母体とする民主党が与党にとどまるかぎり、こんな改革は行われるわけがないので、私も安心してこういう「暴言」が吐けるのだが・・・。

(Twitter 上のつぶやき を加筆・再構成しました)