シリコンバレー流起業入門

シリコンバレーで実際に起業して成長させた会社を、スティーブ・ジョブズとの直接交渉の後、Apple に売却した人が書いた起業入門。シリコンバレーでのベンチャー起業がどんなものであるか理解するには最適な本だ。

シリコンバレー流起業入門―投資を引き出すためのビジネスプラン作成ガイド

シリコンバレー流起業入門―投資を引き出すためのビジネスプラン作成ガイド

曽我氏は東大の工学博士号を持つ技術者・経営者。新日鉄を経て、1996年に DVD オーサリングシステムを作る会社をシリコンバレーで設立。ディズニー等の大手企業に納品する。DVD 普及に貢献。そして2001年6月に Apple 社へ売却。

共著者の能登氏は、10代半ばに米国に渡り、現地の大学を卒業後、日本のインキュベーションセンターで起業のビジネスプランやプレゼンの作り方を指導している。

ターゲット読者はズバリ「ベンチャー企業を興し、シリコンバレーで資金調達をしたい人々」だ。内容は非常に実践的。シリコンバレー流の起業の実情を軽く説明した後に、ワークシートを利用して、具体的にエクゼクティブサマリーとビジネスプランを作れるようになっている。

この本のクライマックスは、投資家と企業家の間の仮想問答集だ。

たとえばこんな感じ(p140)。

Q1 <ビジョン(Vision)についての質問> なぜこのビジネスを考えたのですか?

[投資家たちが知りたい質問の意図]

これから投資家が始めるあなたのビジネスプランに対する質問は、「あなたの技術を買ってもらう」ではなく、「ビジネスの計画を買ってもらう」ための頭の訓練だと思ってください。だからこの技術はすばらしいから、その技術開発のために会社をつくりましたということでは意味がありません。

技術開発は手段であって、それ以前に何を成し遂げようとして起業したのか、その会社はどんな社会的なインパクトをゴールとして考えているのかを投資家たちは知りたいのです。

こんな調子で101個の投資家からの厳しい質問が並んでいる。これをまともに浴びせかけられれば、たいていの起業家はへこむはずだ。私も、エルム・ラボという有料コミュニティを運営しているのだが、グサグサと胸に突き刺さる。逆に言えば、こういう質問に答えられないようなら、投資家による出資の有無にかかわらず、ビジネスはうまく行かないのではないだろうか?実際に始めるまえに、成功の可能性を占うにはとてもよいテストだ。

曽我氏の起業した会社は順調なスタートを切るのだが、IPOへ向けて会社を飛躍させるはずだった画期的な新製品を発表した瞬間、ライバル企業から訴訟を起こされる。競争から蹴落とすことだけが目的の汚い手口。米国社会の暗部だ。これが原因で10か月も交渉してまとまりかけた日本の大手企業からの出資が流れてしまう。資金がショートし、身売りを余儀なくされる。Adobe, Microsoft, Apple が買い手として名乗りを上げるが、いちばん熱心だったのは Apple だった。ジョブスとの直接交渉はわずか3日で解決する。

「日本の投資家との交渉では10ヵ月でようやく案がまとまり、来週サインというときに待ったがかかり、6ヵ月間結論が出ませんでした。そのスピードの違いは実に480:3でした」(p270)

劇的な日米企業文化の違い。日本企業の意思決定の遅さは、世界各地で悪名高い。むしろここまで意思決定が遅くてよくやってこられたものだと感心する。日本企業が、訴訟に巻き込まれた曽我氏の会社に出資をためらったのも、訴訟慣れしていないせいだった。「世界に打って出る日本企業は、訴訟慣れしていないと勝ち残ってはいけない」と曽我氏はいう。

シリコンバレー流は合理的で魅力的だし、チャレンジを恐れない態度がイノベーションにつながるのはよく理解できるのだが、文化的に真逆の日本では、そのままの形では受け入れられないかもしれない。それでも、漫然と製品を作っている日本の技術者が、自分のビジネスプランを明確するには、とても有用な本だ。なぜかいま品切れ状態で、アマゾンには古本しかないが、買うなり図書館から借りるなりして、ぜひ読んでみてほしい。

日本批判者の不都合な真実

昨日は横浜のコワーキングスペースタネマキで、いまをときめくウェブサービスDesignClueを運営する柴田社長を囲んで、開発の苦労話や今後の展望を聞くイベントがあった。 柴田さんは27歳と若いが、DeNA でのインターンソフトバンクアカデミアでの経験を経て、起業に関する心構えはとてもしっかりしていた。礼儀正しく気さくな好青年であった。

DesignClue では、日本人の発注者が、海外に住むデザイナーにロゴを発注できる。面白いのは、選択肢と自動翻訳を活用して、日本人は日本語で発注ができ、外国のデザイナーは注文の内容を英語で確認できるようになっている点。日本人が外国人と取引するうえで一番抵抗を覚えるのは言語の違いであろうが、それを自然に乗り越えられる仕組みになっているのだ。また、外国の発注するからといってロゴの価格を大幅に下げるのではなく、一定の価格を維持することで高品質なロゴが供給されるように心を砕いているのも興味深い。

柴田社長は、高校時代をカナダ東端のノバスコシア州で過ごし、多文化社会を体感した。その経験が、世界中の人たちとチームを組むという DesignClue の発想につながっている。

日本にも優秀な人がいるんだな、と驚いた。最近、別の場で、弱冠20歳にして起業家への道をひた走っている才気あふれる若者に出会った。近頃は、こうしたやる気にあふれまくっている若者向けへの事業計画コンテストも多数開催されるようになっており、採択されれば出資を受けられることもある。有名なところは、MovidaOpen Network Lab だろうか。

こういう起業家志向の人たちは持っているオーラが違う。ごく自然体で、技術を通じて社会の諸問題を解決しようとしている。彼らは「社会に問題が多すぎる」などと愚痴を言ったりはしない。むしろ「社会問題にこそビジネスチャンスがある」と考える。問題に直面してもパニックになるのではなく「どうやったら解決できるか」と冷静に考え、一つ一つ現実的な手を打っていく。

私は、この数年間、日本社会を批判し続けてきた。まっとうな批判もあっただろうが、基本的にこれは自分の弱さゆえであったように思う。つまり「私には力がないので、社会に問題があれば、容易にその犠牲になります。自分の力で問題を解決することはできません。どうか誰かほかの人たちが社会を良くしてほしい」と弱音を吐いているのと同じだったのだ。

日本社会がいま直面している諸問題は、決して簡単に解決できるものではない。多くは構造的な問題で、さまざまな問題同士が互いに補強しあうようにかみ合って、社会の閉塞感をもたらしている。しかし、構造的問題のない社会があるだろうか?経済ブームに沸くアジア諸国だって、一皮むけば問題だらけのはずだ。社会に問題があるのはむしろいつの時代も当然のことで、それらを解決したり改善したりするために私たちは働いているのではないか。

私はこれからも腹が立つことがあるたびに、日本社会を批判してしまうだろう。自然な心情ではある。だがそればかりでは進歩がない。「よし、問題があるのはわかった。ではどのようにしたら解決できるのか。それに対して自分ができることは何か」と同時に自問すべきであろう。ビジネスの形でその問題が解決できれば誰もがハッピーになれるのではないか。現実の行動を起こせるように、自分が社会へ働きかける能力を段階的に鍛えていきたい。

「やりたい」ではない「やる」のだ

私はかつて受託開発のソフトウェア技術者だった。プロになったのは26歳のときだが、私は13歳のころからプログラムを書いていたので、最新の開発環境について独学するのはさほど苦にならず、瞬く間に平均以上の技能を持つ技術者になった。だが、正直に告白すると、ずっと技術者としての自分が好きではなかった。私にとって、ITをやるのは、ある種、人生からの逃避を意味していた。社会的な関係を結ばずに済むための方便だった。私はプログラムを書くのが嫌いだった。オープンソースプロジェクトに参加する人たちは、カネをもらわなくてもプログラムを書きたい人たちだが、私はまったくそんなタイプではなかった。

皮肉なことに、私のプログラム嫌いは、プログラム技能を向上するのに大いに役に立った。プログラミング言語 Perl の作者のラリー・ウォールによる「プログラマの三大美徳」に「怠慢(Laziness)・短気(Impatience)・傲慢(Hubris)」がある。私は、プログラムを書く作業が苦痛であるがゆえ、その時間を最小化しようとして、あらゆる努力をした。私はまさに怠慢・短気・傲慢なプログラマだったゆえに、技術がどんどん向上してしまった。社会的な関係を求めながらも、どんどん人間と付き合う必要のない技術的な方向に仕事が向かっていってしまった。

2008年頃、私は東京で Ruby on Railsプログラマとしての一定の評判を確立しつつあり、多くの仕事が舞い込んできていた。寝る間もなく、仕事をしなければならない時もあった。だが、私は自分の仕事が苦痛で仕方なかった。私は、プログラムを書くのに忙しすぎて、顧客との打ち合わせ以外はほとんど人間と話すことがなくなっていた。こんな人生は嫌だ。そんな東京での生活をぶち壊したくて、私はベトナムに渡った。

ベトナムに行ったのは、ソフトウェアのオフショア開発の会社を作るためというのが表向きの理由だ。本当のところ、業種はどうでもよくて、会社を作って、「経営」というものをやってみたかった。自分ひとりで黙々と作業するだけの仕事、他人の夢の中の部品となって働く仕事にうんざりしていたからだ。本当は「経営」かどうかさえ、どうでもよかったのかもしれない。自分の殻を打ち破って、自分自身の「ビジョン」を示し、他者を巻き込みながら、何かを達成すること。それが本当にやりたいことだった。

ただ、私は、何らかの子供のころの心の傷により、自分自身の考えを開示してプロジェクトを作り、他者を巻き込みながら何かを達成するということが極端に苦手だった。言語も文化も違う外国であるベトナムで、いきなりそういうことをやろうとするのはハードルが高すぎた。日本に比べるとカオスとしか言えないベトナムの諸制度に翻弄されて、私は結局、会社も作ることができずに日本に戻ってきた。

私の中には、内気な10歳の少年が住んでいる。小中高時代の私にとって、学校は苦痛な牢獄にすぎなかった。そこで行われている様々な学校行事(部活・運動会・文化祭等々)に対して、何の興味も持てず、その教育的な意義についてもまったく理解できなかった。私自身、自分の感情さえ、周囲に上手に開示することができず、最低限の人間関係もうまく結べなかった。言ってみれば、深い井戸の底に住んで、小さく切り取られた青空を見上げて、外の世界に憧憬を抱く囚われの人間だった。

そうやって、井戸の底の牢獄でも私にできることはプログラムを書くことでしかなかった。だから私はプログラムを書くことを憎みつつも逃れることができなかった。

だが、最近、タネマキでいろんな起業家志向のエンジニアの人たちと話をする中で、私はむしろ例外的な人間であることに気が付いた。エンジニアには2種類しかいない。技術自体に興味がある人たちと、技術を使って現実の問題を解決することに興味がある人たちだ。前者は、技術と戯れているだけで喜びを感じる人たち(一般的にはギークとかオタクとかいわれる)。対象が何であれ、楽しんでいるのをとやかくいう必要はない。後者は、問題の解決に主眼を置いている。問題を解決するには、種々の方法がある中で、たまたま技術を手段として選んだだけにすぎない。彼らは社会的関係から逃げているのではなく、むしろ新しい社会的諸関係を開拓しようと挑戦している人たちである。技術に打ち込むのは必ずしも、現実逃避だけを意味するのではないのだ。そんな当たり前のことを最近になって、ようやく思い知るようになった。

私は、実際には経験も知識も豊富で働き盛りの42歳だ。もう内気な10歳の少年ではない。自分が起こす社会への働きかけにもっと自信を持っていいはずだ。最初から完璧にはできないだろう。だが、私は、その過程でおこるさまざまな予測できなかった問題と誠実に取り組むつもりだ。

「やりたい」ではない。「やる」のだ。最初からやり通せるかどうか、だれも100%の確信はもてないのは当たり前だ。だからこそ、何かか問題が発生しても、いろいろ工夫して乗り切るという覚悟が重要なのだ。

ただ、いきなり複雑で難しいことをやろうとしても、挫折してしまうだろう。最初は小さなことから着実に積み重ねていきたい。いずれ大きなことができるようになるだろう。



…というわけで私はあまりきちんとプロモーションしてこなかったのだが、今後は私の運営するコミュニティ「エルムラボ」の宣伝をテコ入れしていきたい。エルムラボは「学習」をテーマにしているのだが、実際には自分で何かをやりたい人(起業・フリーランス・サラリーマンの副業・NPO 活動等)たちが連携し、自分がやりたいことを達成するうえで必要な「学び」を励ましながら達成するといく場にしていきたい。…と難しいことを言わなくても、この酒井のファンクラブと単純に考えていただいても結構。私がブログでいままで表明してきたさまざまな価値観に共感する人たちだけが集まっているので、いきなり濃い話ができるはずだ。

リアル/バーチャルの両面でオープン/クローズドなイベントをやっていくなかで、メンバー間の交流を図りつつ、みんなで何か面白いことをやっていきたい。

今のところエルムラボの紹介のページはこちら。ただ近々きちんとしたサイトを立ち上げるつもりではいる。是非よろしくお願いします!

カネを「払って」労働する人々

ふつう労働はカネをもらってするものだろう。しかし、今日「カネを払って労働する人たち」がいると聞き衝撃を受けた。

う米部 〜umai-bu〜

「う米部」と書いて「うまいぶ」と読む。「無肥料・無農薬で、本当に「美味しい」お米作りを目指す農集団」だ。千葉県館山市の休耕地を借りて、ほぼ人力で復活させ、無農薬・無肥料のごく自然に近い粗放的な稲作を行っているそうだ。

この「う米部」は定期的にイベントを行う。イベント参加者、がっつり農作業を行う。この手の企画では、通常、農業体験といっても短時間に終わらせることが多いらしいのだが、「う米部」は違う。実際に、コメの収穫を目指しているので、それに必要な作業をイベント参加者は行わなければならないのだ。だが、イベント参加者に言わせるとそういう本格的なところがいいのだという。

近日行われるのは、このイベント。
う米部 ー除草隊&蛍観察隊ー 6月15日・6月16日

1泊2日。交通費・宿泊代・食事代が込みとはいえ、参加費用は13,000円と決して安くはない。上に書いたように、泥まみれの重労働を行わなければならない。それでも、参加者がいること、しかも若い女性が多いという話に衝撃を受けた。いったいどうなっているのか…?

このイベントの関係者の方の話によると、参加者の方々は真剣に農業に興味を持っている人たちが多いという。農業に興味があっても、本格的にやり始めるまで踏み切れない人たちが、それに近い本物の体験ができるというのが受けているのかもしれない。

私は、茨城県の片田舎に育った。もともとは農村地帯だったが、高度経済成長の中で工場が増えていった地域だ。私の父は、工場の管理職だったが、家の周りには田んぼが広がっていた。私の家族は、地元の農家と直接の交流はなかったが、農村特有の閉鎖的保守的な体質は肌身に感じていた。若い人たちが新しいアイディアをもって農業を始めようとするときに、最大の障害になるのは、実はこの農村の保守的な体質ではないだろうか。

だがこの農業イベントでは、そういう面倒な部分を主催団体が対応してくれていて、イベント参加者は、農作業そのものに集中できるのだろう。

それにしても、カネを払ってでも労働したいという人間の心の不思議にはただ驚嘆するばかりだった。そう考えるいろんなイベントを企画しうるし、それにおカネを払う人たちもいるだろう。いろんな体験を可能にするサービスが増えることで人々は精神的に豊かになっていくのかもしれない。

考えてみると、仕事というのは、そのコアにある仕事固有の本当に楽しい部分と、その周縁にある退屈で面倒な部分の2つから成り立っているのかもしれない。面倒な部分を取り去ってくれて、安全で楽しく、ある職業の中核的な仕事を楽しませてくれる体験サービスがあれば、カネを出す人もいるのだろう。つまり普段やっているのと全然違う種類の仕事を体験させてもらえれば、それ自体が楽しみになるのかもしれない。たとえば、きれいな服を着させてくれて、危険な客がいない「キャバクラ嬢体験サービス」とか…。恐ろしいことに有料の「プログラマー体験サービス」でさえ、ある種の人たちには需要があるのかもしれない。

人の欲望の形が無限にある以上、商売の形も無数にありうるのだ、とあらためて痛感させられた話だった。

職業訓練校としてのコワーキングスペース

私は、最近、タネマキというコワーキングスペースにはまっている。いまもタネマキにいてこれを書いている。

コワーキング&シェアオフィススペース

コワーキングスペースは、簡単にいえば「パソコンさえあれば仕事ができる人たちが、電源とインターネット接続を得て、時間を気にすることなく落ち着いて作業できる、カフェとオフィスの中間的な空間」のことだ。

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タネマキは横浜駅徒歩8分にある。こじんまりとした癒し系のスペース。オーナーの上津原氏考案の公式ゆるキャラ「モグ雄」君がやさしく出迎えてくれる。壁に描かれた空の絵がクリエイティブな雰囲気を演出している。8人掛けのテーブルが2つ、4人掛けのテーブルが1つあり、電源・Wi-Fi はもちろん完備。お茶・コーヒー・スポーツドリンクなどが無料で飲み放題だ。技術書・ビジネス書・漫画なども本棚にぎっしり詰まっており、これらを読みにくるのもアリだろう。

私は、最近、タネマキを24時間利用可能なメンバーになった。私が住むギークハウス横浜から徒歩3分の至近距離にあるため、すっかり入り浸っている。そこでいろんな興味深い人たちに出会った。

ここで面白いのは、「〜部」とよばれる定期的な勉強会が夜に催されていることだ。たとえば毎週火曜日の夜には、「Wordpress 部」が開催される。特に講師がいるわけではないのだが、Wordpress を学びたい人たちが集まって、もくもく作業をし、わからないことを周囲の人に質問する、という企画だ。私も前回の Wordpress 部に参加して、部長(企画者)の方からいろいろお話を伺った。

興味深かったのは、「HTML って何ですか?」というレベルの初心者の方が、Wordpress 部の活動を通じて、メキメキと頭角を現し、いまはそれを仕事にして稼いでいるという話だった。たしかに IT 技術は自分で実際に手を動かしてモノを作らないと習得できない。しかし、漫然と授業を聞いたり、本を読むだけでは、難しい問題に出会ったとき、行き詰って先に進めなくなる。こういう「もくもく会」形式の勉強会では、となりに質問できる相手がいるから、一人で問題を抱え込まなくてすむのだ。

勉強会にかぎらずコワーキングスペースではこういう話が多い。IT 関係の仕事をしている人が多いとはいえ、不動産関係や法律関係の仕事をしている人たちもやってくる。私はほかにも、イラストレーター、ライター、プロブロガー、ラーメン店主等々多彩な職業をもつ人々に出会った。こういう多様な環境で質問を投げると、どこかから何らかの答えが返ってくる。必ずしもどんぴしゃりの答えでなくても、問題解決へ向けて新しい発想をもたらしてくれるのは素晴らしい。

こういう刺激的な環境を功を奏したのか、最近、タネマキのメンバーで IT 起業家として成功へむけて確実に前進する人たちも出始めている。フリーランスの人が仕事の方法を学び、人脈を広げる出発点としてコワーキングスペースは最適じゃないだろうか。

いままで日本人は物理的空間をコミュニティが形成される場としてとらえることが少なかったように思う。シェアハウスは単なる住居ではないし、コワーキングスペースは単なるオフィスではない。物理的な場所である以前に、そこは人と人が刺激しあい新しいものが生まれる場所であり、コミュニティなのだ。

…とはいえ、コワーキングスペースの(たぶん日本最大の)集積地・渋谷では、もっと雰囲気が殺伐としていて、コワーキングスペースでのメンバー間の交流はあまりないという噂も聞いた。明日、たまたま渋谷のスペースに行くことになっているので、そこらへんの事情についても確かめてみたい。

受け身の態度が人生を退屈にする/傷ついてもいい自分のやりたいことをやろう

私は、子供のころ、他者とうまく関係を結ぶことができなかった。田舎ゆえに、同じような知的レベルの人たちと話をする機会に恵まれなかったのが一因であろう。自分の気持ちを素直に表現した言葉が周囲に理解されないばかりか、訳が分からないとバカにされ、孤立するにつれ、私は本心を見せなくなった。だから、自分から何かを提案して、率先して行動するということがほとんどなくなっていた。

社会的な関係において、私は常に受け身だった。すでに存在する社会的関係をそのまま受け入れるか、あるいは逃避するか、常に2つに1つであった。自分が能動的に状況を変えていくという可能性については思いつきもしなかった。

やがて学校を卒業し、紆余曲折の後に選んだ仕事は、ソフトウェアの受託開発だった。受託開発という名前の通り、基本的に客の言う通りにソフトウェアを作る仕事だ。それは「彼らのやりたいこと」であって「私のやりたいこと」ではなかった。私は、自分の願望を、第三者を巻き込みながらこの社会で実現しうると信じていなかったから、そういう状況には慣れていた。つまらなかったが、社会と無用の摩擦を起こさない安全な道だった。

ただ数年前からそういう状況が本格的に耐えられなくなってきた。自分には知識もスキルもあるのに、いつまで他人が自分に期待する道だけを歩み続けるつもりなのか。たとえ傷つくことがあったとしても、本当にやりたいことをやって、周囲の人間を巻き込みながら、新しい企画・製品・事業を実現させていくべきではないのか。そうやってほんのわずかでも少しずつ社会を変えていくべきではないのか。そういう疑問に居ても立ってもいられなくなった。

私は小心者だ。評論家としてではなく、実践家として社会に新しい企画を提案するのは、怖い。子供のころのトラウマゆえに、再び冷たく拒絶されるのではないかという恐怖が先に立つ。だが私はもう子供ではない。自分をとりまく状況を客観的に把握すれば、突破口あるのではないか。拒絶されてもこの世の終わりではない。自分の理解者を探しながら、着実に自分の構想を実現していけばいい。

いま私は、ある企画を具体的に立てようとしている。これは小さなプロジェクトだが、私にとっては社会に働きかける能力を確立するうえで大きな一歩になるだろう。近々発表できると思う。応援していただけると幸いだ。

カネをもらいながら海外で勉強する方法

「うまい話なのに、怪しくない」という珍しくいい話のようだ。

大阪府緊急雇用創出基金事業 中小企業グローバル人材育成事業

「ビジネス経験や一定の素養をもつ若年者を対象に、大阪府とPASONA&JTB Inter-Asia Project共同企業体のサポートのもと、海外での語学研修や職場実習の機会を提供、実習後はグローバル展開 企業への就職をサポートします」という事業だ。

大阪府が資金を提供する雇用創出事業をパソナJTBといった民間企業が受託してやっているのだろう。応募条件は「40歳未満で失業状態の人」(会社を辞めて参加、というのはアリらしい)。時給1000〜1500円程度をもらいながら、英語や中国語を学んで、海外で OJT しながら国際的なビジネスに必要なスキルを学べるとのこと。至れりつくせりだ。

私がこの事業について知ったのは、私の知人がこの事業に参加するという連絡をくれたからだ。お金をもらいながら英語を学び働くこともできる破格の条件なら希望者が殺到しているだろうと思っていた。ところが意外なことに、諸事情で告知が遅くなった関係で、希望者がまだ集まっていないらしい。まだまだチャンスがあるようなので、希望者は応募してみたらどうだろうか?

大阪府が主催の事業だけれども、別に大阪府民に対象は限定されていない模様。説明会は大阪と東京で6月下旬まで行われている。

注意点としては、応募条件には一応「プログラム終了後、大阪府内企業に就職の意思がある方」とあること。まあ、大阪府のカネでやる以上、やむを得ない制約かもしれない。とはいえ、大阪府で就職先が見つからない人もいるだろうし、どれくらい強く大阪府内での就職を求められるかは、説明会で担当者から確認してみるとよいかもしれない。

会社を辞めて、フィリピン留学に出かけたり、世界一周旅行をして日本に帰ってきて、「さてこれから何をしようか?」なんて考えている人は、まずは説明会に出てみるといいかも。

私も何らかの形で日本の若者の海外挑戦を手助けする事業をやってみたいなあ…。