受け身の態度が人生を退屈にする/傷ついてもいい自分のやりたいことをやろう

私は、子供のころ、他者とうまく関係を結ぶことができなかった。田舎ゆえに、同じような知的レベルの人たちと話をする機会に恵まれなかったのが一因であろう。自分の気持ちを素直に表現した言葉が周囲に理解されないばかりか、訳が分からないとバカにされ、孤立するにつれ、私は本心を見せなくなった。だから、自分から何かを提案して、率先して行動するということがほとんどなくなっていた。

社会的な関係において、私は常に受け身だった。すでに存在する社会的関係をそのまま受け入れるか、あるいは逃避するか、常に2つに1つであった。自分が能動的に状況を変えていくという可能性については思いつきもしなかった。

やがて学校を卒業し、紆余曲折の後に選んだ仕事は、ソフトウェアの受託開発だった。受託開発という名前の通り、基本的に客の言う通りにソフトウェアを作る仕事だ。それは「彼らのやりたいこと」であって「私のやりたいこと」ではなかった。私は、自分の願望を、第三者を巻き込みながらこの社会で実現しうると信じていなかったから、そういう状況には慣れていた。つまらなかったが、社会と無用の摩擦を起こさない安全な道だった。

ただ数年前からそういう状況が本格的に耐えられなくなってきた。自分には知識もスキルもあるのに、いつまで他人が自分に期待する道だけを歩み続けるつもりなのか。たとえ傷つくことがあったとしても、本当にやりたいことをやって、周囲の人間を巻き込みながら、新しい企画・製品・事業を実現させていくべきではないのか。そうやってほんのわずかでも少しずつ社会を変えていくべきではないのか。そういう疑問に居ても立ってもいられなくなった。

私は小心者だ。評論家としてではなく、実践家として社会に新しい企画を提案するのは、怖い。子供のころのトラウマゆえに、再び冷たく拒絶されるのではないかという恐怖が先に立つ。だが私はもう子供ではない。自分をとりまく状況を客観的に把握すれば、突破口あるのではないか。拒絶されてもこの世の終わりではない。自分の理解者を探しながら、着実に自分の構想を実現していけばいい。

いま私は、ある企画を具体的に立てようとしている。これは小さなプロジェクトだが、私にとっては社会に働きかける能力を確立するうえで大きな一歩になるだろう。近々発表できると思う。応援していただけると幸いだ。