志を貫くとは、超一流の自分自身になること

孫さんに重い宿題を突きつけられた気がした。

孫正義LIVE2011
孫正義、【志】を語る。「孫正義 LIVE 2011」書き起こし(その1) | kokumai.jpツイッター総研

私の友人でこのビデオを見ていてもたってもいられなくなった人がいる。あのクールなちきりんでさえ、激しく心を揺さぶられたようだ。それくらいの破壊力のある動画なのである。

私はどうかというと、書き起こしのほうを読み始めて、5分も経たずに読み続けられなくなった。ビデオも5分以上見続けることができなかった。つまらないから、ではない。刺激が強すぎるのだ。孫さんが、私のすぐとなりにいて「おまえの生き方はそれでいいのか。本当にいいのか」と私の頭をガンガン殴りつけているような気がした。

もちろん、孫さんは希有の人物である。猪突猛進を繰り返し、どんな困難も打ち破って、最後は目標を達成してしまう実行力は、尋常ではない。しかし、過激な内容を穏やかな口調で語るこの講演は「あの人は特別だから」で片付けられない不思議な力を帯びていた。

それは彼が本気だからだ。本気というのは伝染力を持っている。本気でぶつかってきた人間を笑ってごまかすことはできない。彼は、語ったことを本気で信じているし、本気で実行するつもりだ。嘘だらけのこの世の中で、彼は愚直なくらいに本気なのだ。

いまも彼のさまざまな言葉が私の心にとげのように刺さって、私に回答を要求し続けている。おまえのいままでの人生はなんだったのか。志は何か。残りの人生をかけて登るべき山は何か。

私は、実業家たちを心から尊敬している。それはなぜか。彼らこそが新しい世界を作る人たちだからだ。新しい商品やサービスを生み出し、数千数万の人々に雇用と生活の糧を与える。彼らがいなければ私たちはいまよりずっとつまらない貧しい世界に生きていたことだろう。彼らが巨万の富を手にするのは、こうした巨大な社会貢献を考えれば当然のことだ。

私は実業家になりたいと思った。ベトナムに渡ってきたのもそのつもりだった。しかし、身体が動かないのである。アイディアが湧かないのである。私は、世の中を鳥瞰的に観察することには非常に興味を持つのだが、具体的なビジネスモデルがまったく思い浮かばないのだ。

おそらく実業を興すのは、なんとなく「お金持ちになりたいから」という程度の動機では十分ではないのだ。実業家たちは自分のアイディアに取り憑かれてしまうのだ。なにか好きなこと、あるいはやるべきことが頭に浮かんで、それをやらずにはいてもたってもいられなくなるのだ。収益性など二の次だ。とにかくやる。これをやらなければ私は死ぬ。それくらいに思い詰めて、突っ走っていくのだ。

孫さんが崇敬する坂本龍馬もそうだろう。彼はなによりも船が好きだったのだ。だから軍艦が欲しかった。艦隊を維持するための国際貿易を夢見た。それが原点であって、けっしてカネ勘定から始めたわけじゃなかった。もちろん事業を続けるにはカネが要るけれども、それは手段であって目的ではなかった。

孫さんは 20 世紀後半から活動を始めた人だから、IT 革命に自分の志を見いだした。情報通信革命を通じて世界をもっと良くするんだ、人々をもっと幸せにするんだ、という目標を立て、それに取り憑かれてしまったのだ。彼の作ったソフトバンクだっていままで何度も潰れそうになったのではないか。これから潰れてしまうかもしれない。しかし、孫さんにとってはそれでもいいのだ。なぜなら、彼は志を立て、そこに至る道のりで倒れることになるからだ。

私には、龍馬や孫さんに匹敵するような好きなことも使命感もない。非常に悔しい。いままでの人生でそういうものを見つけられなかったし、出会いもしなかった。私はまもなく 40 歳になる。もう青年とは言えない歳かもしれない。私は、龍馬や孫さんのような夢に憧れを持ちながら、それを持てずに漂流し続けている。

私は以前、刺激的な人たちと交われば、あるいはそういう目標を見つけることができるのではないと思ったこともあった。でも、それは違うのではないか。人から刺激を受けなければ続かないような目標はたぶん本物ではない。龍馬や孫さんだって、人の考えに影響されて自分の志を立てたのではあるまい。それは彼らの内部にもともとあったのだ

私は新しい人たちに会うのが好きだ。でも、まるで薄幸の少女が白馬の王子との出会いを夢見るように、その出会いから自分の人生が変わるかもしれない、と期待することはやめようと思う。目標を定義するのは自分自身だ。自分自身の手で目標を見いだし自ら燃え上がることができないとしたら、それはそれまでの人間なのだ。

ひょっとしたら私は実業家にはなれない人間なのかもしれない。だが、その他のなにがしかにはなれるかもしれない。私は、自分の心の奥深い部分が命じるままに行動を続け、自分自身であることを完成させるしかないのだろう。坂本龍馬も「英雄たる者、他者の足跡を追ってはならない」と言っていた。何者かと尋ねられれば「私は坂本龍馬だ」と答えたという。彼は徹底して自分の頭で考え、あるがままの自分自身であろうとしたのだ。

志とは、孫さんのいうように、本来、この社会で何らかの物事を成し遂げることだ。だが、その人が何をすべきか、与えられた答えはない。ある人はそれを見つけて、龍馬や孫さんのように社会を変えながら人生を走り抜けていく。また、ある人は、死ぬまで、なすべきことを見つけることはできないかもしれない。しかし、自分自身の内心の声に耳を傾けながら、誠実に人生を生き抜くことはできるだろう。

私たちのすべてが孫さんになれるわけではないが、自分自身を完成させるべく努力を続けることは、誰でも手の届く目標なのではないか。志を貫くとは、自分の中の潜在能力をすべて開拓し、超一流の自分自身になることだ、と考えてもいいのではないだろうか。